風の通りすぎる場所@あおいベーカリー

自家製酵母のパン工房「風の通りすぎる場所@あおいベーカリー」に関するお知らせと、何気ない日常を綴っています。

人形に牽かれて神社詣り

  廊下の奥の納戸を整理したら、その中から日本人形が出てきた。
  以前母が、祖母の家からもらってきた日本人形を、

  かわいい

といって床の間にしばらく飾っていたのに、いつのまにかその人形がなくなっていた。どうも、その人形らしい。
 しかし、飾っていた時には着物を着ていたはずなのに、着物がなくなって裸の状態で、さらに足の部分もはずれてしまっている。
 古い日本人形なので、結構リアルな作りになっていて、床の間に飾ってあるのがなんとなく恐かったのがいつのまにか見えなくなったことにふと気づいた時に、母に、

  あの人形 どうしたの?

と聞いたような気がするのだが、そのへんのことを今は、はっきり覚えていない。

  着物を作ってあげようと思って

そんなことを母が言っていたような気もするが、どうも記憶があいまいだ。

 去年、水戸市であった人形供養に行く時にあの人形も持っていきたかったのだけれど、どこにあるかがわからず供養してあげることができなかった。実家に引越しが終わった後、そういえばあの人形はどこにあるんだろう?と、今の今まで片付けをしていながら見当たらないのが不思議だな・・・と思い出していたところ、その人形が、スーパーなどでもらう手さげのポリ袋に入れられて、納戸からひょっこり出てきたのだ。っていうか、納戸のわきの所に何かが入っているので出してみて、これなんだろう?と見てみたら一つが足だったので、びっくりした!

  あれ?
  これ もしかしてあの人形・・・

そーっと袋の中を見てみたら、やはり日本人形だった。

 なんか 気味悪いな・・・

気のせいか、袋から出した瞬間、唇がにっこりほほ笑んだような気もする。
 結局その日はそのまま袋に戻して、床の間に積み上げた荷物の上に置いておいたが、夜になって起き出したりしたら・・・と、気が気じゃなかった。
 翌日、やはりそのままではあまりにかわいそうと思い、とりあえず袋から出してみることにした。

  まさか
  髪が伸びている・・・
  なんてことないよな

と、本体のほうを袋から出して背中側をそっと見てみたら・・・

 うそ!
 伸びてるし・・・

髪が伸びていた・・・!!
 たぶん、おかっぱのように切りそろえられていただろう髪の裾はきれいにそろわず、ひょろひょろと腰近くまで長く伸びた髪もあった。

  まじかよ!
  やっぱり そういうこと
  あるんだ・・・

怖い気もしたが、でも、世の中にはそういうこともありなのかもと、現実を素直に受け止める。(ちなみに本当に伸びたのか、古くなって抜けたものがずれて伸びたように見えているのかはよくわからない)
 とりあえず昼間のうちはそれほど怖くはないが、しかし見える状態にしておくのは、特に夜になってからが怖い。

 なにか 包んであげられるようなものは・・・

と探して、ちょうど納戸から出てきてかび臭かったので洗濯した抱巻用の赤い縞模様の反物があったので、それで包んだ上で、ぷちぷちでくるんだ。さらに、段ボール箱に入れた。

  さて どうしたものか・・・?

以前行った人形供養は、11月3日である。それまで、あまりにも長い。さすがにそんな期間、このままにしておくわけにもいくまい。だいたい、怖すぎる。

 古道具屋さんでも
 こんな状態の人形は扱ってくれないかもな〜
 髪が伸びているのを見たら
 間違いなく これはちょっと・・・って
 嫌がられるよなぁ
 だいたい 「売る」っていうのも
 なんだか 違う気がするし・・・
 果たして この子は
 着物を着せてもらって
 もう一度 この世で 生き続けたいのだろうか?
 それとも もう
 あの世(?)に行きたい と思っているのだろうか?

着物を作って復活させた方がいいのか、それとも、人形供養した方がいいのか?人形の身になって考えてみる。
 で、思い出した話がある。それは、ガリバー旅行記
 ガリバーが行った国は、大人国、小人国、馬の国のほかにもう一つ、死なない人のいる国がある。子供の頃にその話を読んで以来、それが私の死生観の元となっているのだが、ガリバーが行ったその国の中には、生まれつき死なない種族に生まれる人がいるのだ。ガリバーは、ごく普通に、生き続けること、長寿であることを素晴らしいことだと考えている。が、死なない種族に生まれてしまった人たちは、ガリバーにこう言うのだ。

 「死なない」ことは つらい
 この種に生まれてしまったら
 年をとっても 病気になっても
 死ねないんだ
 親が死んでも 子供が死んでも
 仲のいい人がみんな死んでしまっても
 自分は 死ねない
 衰えて 醜くなっても
 生き続けていかなければならない
 それが どんなに苦しいことか

・・・確か、そんな話だったと思う。
 その話を思い出したら、もしかしたら作られてから100年近く経っているかもしれないこの日本人形も、もうこの世から去りたいと思っているのかもしれない。そんな気がした。なので、段ボール箱に入れた人形を玄関に置いて、とりあえず、

 ここから 違う世界に
 行くんだよ

と言い聞かせた。そして、やっぱり怖いので、塩を盛った。
 さて、ではどこで供養すればいいのだろう?
 玄関に人形を置いたまま数日考えて、大前神社を思い浮かべた。お詣りに行った時に、古いお札を収める場所があるのを見たことがあったのだ。

  大前神社で 人形供養も やってもらえるのだろうか?

それで、一昨日、大前神社の骨董市に行った時にもう一度お札を収める場所を見てみたら、

  人形は 魂抜きが必要です

と書かれてあった。
 どうも、人形供養もできるらしい。しかし、骨董市の日は人出が多く、社務所を訪ねるにも落ち着かなかったので、あらためて今日、電話で聞いてみたら、人形供養もしているとのこと。それも、いつでもいいらしい。さらに、今日でも大丈夫。
 なので、早速今日、人形を持って神社に供養をしてもらいに行くことにした。
 神社に連れて行くにも、裸のままではあまりにもかわいそうだ。箪笥から出てきた反物の中に織りで柄の入った生地で白、ピンク、朱で染められたものがあったので、それを適当な長さに切って巻くことにする。
しかし、そのまま巻くのもなんだか寒そうだったので、やはり納戸から出てきてかび臭かったために洗濯したおいた晒しを下着のように巻いてから、着物地を巻いた。
 さらに、少し厚手の臙脂色の生地に黒で模様が染められた布もあったので、それを四つ折りにして帯のようにして縛ってあげたら、かわいくなった。
 外れてしまった足は、抱巻の赤い生地でくるんだ。
 段ボール箱に入れていくのも、違和感があったので、何かないかと部屋を見渡したら、昔ながらの着物入れ?…服をたたんで入れておくお盆がちょうどいい大きさだったので、そこに寝かせて持っていくことにする。
 準備が整い、玄関に人形を入れたお盆を足のほうを入り口のほうへ向けて置き、

  さあ 行くよ

と、人形に心の中で声をかけて、大前神社へ向かう。

 大前神社の祈祷受付所は、広い畳の間だ。行ったのが3時だったからか、他に申し込みをしている人はなく、すぐに祈祷してもらえることになった。
 最初に受付してくれた神主さんが、便宜上申込書に人形供養と書いてくれたが、そのあとに申し込み書をチェックしてくれた若い宮司さんが、こう説明してくれた。

 お寺では 人形供養といいますが
 神社では
 もともと 人形は ヒトガタという
 人の悪運や穢れを身代りに受けてくれるもの
 というのが 由来なので
 人形についた 穢れを取り払い
 魂を神様の元に返して
 人形を「モノ」にする・・・
 「モノ」にしたなら 焼いてもさしつかえない
 そういう考え方でやるので
 「魂抜き」といいます
 元々の 人形の役割から考えると
 そのほうが 本来の形に添ったものになると思います
 ですので
 人形供養ではなく 魂抜きになりますが
 それで よろしいですか?

 はい
 お願いします

もちろん、お願いした。

 それから宮司さんの準備が整うまでの間、受付所でしばらく待っていた。考えてみると、この神社の中に入るのは、七五三の時以来ではなかろうか?そう考えると、ずいぶんと長い時間が経っている。
 七五三の時の写真もあるが、母は何と、その時につけた髪飾りも箪笥の中に入れてしまっておいてくれている。7歳の頃、このお宮でお祓いをしてもらった時のことを、ぼんやりと思い出していると、

 お待たせしました
 では こちらへどうぞ
 お宮へ ご案内いたします

準備ができて、宮司さんに案内され、お宮の中に入る。
 人形を祭壇にあげ、私一人がお宮の中で見守りながら、儀式が始まる。
 神様に、これからこういうことをするということを伝える。人形の穢れを取り除く。玉串をもって、感謝の意と願いを神様に伝える。人形の魂を、鑑を通して神様の元へ返す。そうして魂を抜いた人形は、「モノ」になる。
 宮司さんは、一つ一つ丁寧に説明してくれながら、執り行ってくれた。
 神様への詞を聞いていたら、祈りの中には、人形の魂を神様の元へ返すことのほかに、我が家の家内安全と末永い繁栄も含まれていた。
 ちなみに最初に神様へのあいさつをしている時に、なんと地震があって、お宮もぐらぐらと揺れた。宮司さんは一時詞を止め、地震の様子を伺っていたが、

 コバヤシさま
 このお宮は 300年前に建てられましたが
 先日の地震でも
 何の被害もありませんでした
 大丈夫だと思いますので
 このまま 続けさせていただきます

と、冷静に続行。無事、魂抜きが終わった。
 それがきっかけで、儀式がをあった後に宮司さんは、このお宮が300年前に建てられたこと。建て終わるまでに13年の月日がかかったこと。その時に使われた木が当時のお城があったところに生えていた木だったこと。そして、建築にかかわったのは当時の一流の建築士であったこと。そのことが書かれた日記が、震災の後、元名主をしていた家から出てきてわかったことなどを話してくれた。
   
 真岡へ戻ってから、2ヶ月。思いがけず、ここに住むための引越しが終わった後に、大前神社でお祓いしてもらうことになった。

 私が 人形を (魂抜きをするために)神社に連れてきた
 と 思っていたけど
 実は 人形が 私を大前神社に連れてきてくれたんだ・・・

考えてみれば、あの時人形が出てこなかったら、わざわざ大前神社で祈祷してもらうこともなかっただろう。
 魂抜きをした人形を神社に預け、家に帰ってきたら、不思議に清々しい気持ちになった。
 出かける時にぽつぽつと降り出した雨が、小雨になって、この地も洗い清めてくれているようだった。