実家のある真岡に引越す前に住んでいた会津で、1年だけ、仲間とともに立ち上げたカフェらしきものをやっていたことがある。そこでお会いしたお客さまから、いきなりこんな質問をされたことがあった。
幸せの条件っていうのが 5つあるんだけど
なんだかわかる?
その日は、数日前に『幸せの経済学』という映画の上映会が町であり、それを観たすぐあとだったということと、そのお客さまが作務衣のようなものを着ていて、あとから聞いたところによると仏像の絵を描いているといったこともあり、印象的にその出来事を覚えているのだ。
で、幸せの条件5つ、という問いの答えを考えた末に私が最初に思いついたのは、
家族?
うん
それは 「愛」だね
あとは?
う〜ん
・・・・・
お金?
うん
お金も必要だね
でも それはいちばん最後
「愛」「お金」のほかには、「健康」「平和」とあって、
あと 残りの一つは?
私はそれがわかるのに
20年かかったよ
と、尋ねられた。
幸せの条件5つ。「愛」「健康」「平和」「お金」・・・残りの一つは・・・
その問いに、
う〜ん
生きがい・・・とか?
と答えたら、
そう!
よくわかったね
夢 とか 希望 とか 生きがい とか
それが いちばん必要なんだ
私は それがわかるのに
20年かかったんだよ
すばらしい!
と褒められた(笑)
その時の私は、ブルーベリー畑経由でパン屋になる!と決意し、3年後には店をオープンさせようと思っていたそれが、一応現実の形となっていた時だった。だから、すんなりと、「生きがい」という言葉が出てきたのだろう。
幸せの5つの条件(ちなみにそれは、お釈迦様の言葉らしい)を教えてくれたお客さまは、その5つを知って生きるのと知らないで生きるのでは、生き方が変わってくるよ、ともおっしゃった。
そういえば・・・その時そのお客さまはコーヒーとカンパーニュを注文して、午前中の、他には誰もいない山奥の、大きなガラス戸から緑の木々が見えるカフェで、カンパーニュをちぎって召し上がりながら、
焼き立てのパンが食べられるって
幸せだよね
と、私に向かって何気なくつぶやいたっけ・・・
カフェを開店させたあと、立ち上げたグループのメンバーのIターンの人たちが個人的事情で町を離れることになって活動を継続できなくなり、そのあと東日本大震災が起き、カフェは1年で閉店することになって、その時住んでいた住宅の部屋と引越すことに決めた実家の片付けを同時に終わらせ、2011年の年末にようやく引越しが完了して、私は30余年ぶりに真岡市民に復帰した。
真岡に引越す時点で、実家でパン屋をやろうということは決めていたものの、実際に開店できたのは、そこからまた2年後(2014年2月)になった。
開店するまでの2年間は、今から思えば、自分がどんなパン屋をやりたいのか、ということをあらためて考える時間でもあった。
大金持ちになりたいわけでもなく、特別欲しい「もの」があるわけでもない。
自分が食べるパンを焼く時に少し余分にパンを焼き、そのパンを売って、近所の人たちがそれを買いに来てくれて、その現金収入で自分が暮らせるようになる。それが理想だ。
そんな自分の芯になる部分を確かめつつオープンした、今年2月の開店日。チラシも撒かず、入口の小さな看板だけで始めた上に、想定外の雪が降ったので、お客さまなどほとんど来ないだろうな・・・と思いきや、小さな看板に目を止めてくれていた近所の方が、「今日が開店だったわよね?ずっと気になっていたのよ」「きれいなパンじゃなくて、こういう、普段食べるパンが欲しいのよね」といって来てくれて、自分がこんなパン屋が理想だ・・・と思っていたその通りの場面に早くも巡り合うことができてしまった。
とはいえ、実際にはまだ、生活できるような収入にはならず、発展途上なのだけれど、パン屋を始めたとたんに自分の気持ちが劇的に変わったのには、自分でも驚いている。人の気持ちって、こんなにも簡単に変わるものなのか・・・と。
小さいながらも自分が積み重ねてきた、パンを作るための技術。それに、仲間の力を借りて出来上がった、パンを作って売るための仕事場。それがあればこれから何とかなるだろうと思えるようになり、それ以前のようにお金にとらわれなくなって、不安になることがあまりなくなった。そして、幸せだな〜と思えることが急に増えた。
あの時教えてもらった、幸せの条件。
いちばん大切な「夢」や「希望」や「生きがい」に属するもの。ようやくそれを形にできる場所にたどり着くことができた、ということだろうか。
「夢」は見るものではなくて、自分の手で叶えるもの。「生きがい」は、誰かと分かち合うもの・・・。
お金はいちばん最後だよ、と言われたそのことも、まさにその通りだなと思う。
そして、それを教えてくれた時にお客さまがつぶいやいた、
焼き立てのパンが食べられるって
幸せだよね
という言葉を、再び今、噛みしめるのだ。