お盆の季節ですね〜。真岡に帰省している方もいらっしゃるのでしょうか?
どうでもいい、ごく私的なことなのだが、実は我が家は両親とも散骨にしているので、お盆や法事とは無縁になっている。
いくつかの事々が重なり、父が生前から、
お墓なんていらない
オレは 散骨にしてくれ
と、ことあるごとに聞かされていたので、父が急逝してあらためて確かめることもできないままに、お墓を作らないことに決めた。
父と母が亡くなり思うことは、死に方は、最後の生き方なんだなぁということ。
ぱっと死にたいと言っていた通りに父はあっけなく亡くなり、母もたぶん、(それなりに)思っていた通りに死を迎えられたのではないかと思う。
なので、私と妹の子供の側としても、いなくなって淋しい気持ちはあっても、悲しみでいっぱいになることはなかった。(実際、母の葬儀の後は整理することや手続きがあれこれあって、妹としみじみ悲しんでいる暇もなかった)
亡くなってから気づいた親不孝の数々に後悔の念は堪えないのだけれど、入院する時に告げられた母の余命の短さを聞かされてもあまり動揺することなく覚悟することが出来たのは、子供の頃に読んだ『ガリバー旅行記』に遡る。
『ガリバー旅行記』
たいてい一度は読んだことがあるのではないかと思うが、その中でも有名な部分は、小人国(しょうじんこく)と大人国(だいじんこく)。でも、ガリバー旅行記には4つの国に行った話が書いてあることまで、知っているだろうか?
ガリバーが航海した国は、大人国、小人国のほかに、馬の国と飛ぶ島がある。
私がその中でいちばん印象に残ったのは、飛ぶ島に旅した時の、「死なない人」たちの話だった。その国には死なない運命を持った人たちが生まれることがまれにあり、1000年以上も生き続けている人もいるというのだ。
その話を知ったガリバーは、
、
なんて しあわせなことなんでしょう。
いつまでも死ぬ心配がないというのは、なんて楽しいことでしょう。
と思わず歓喜の声をあげるのだが、それを聞いたその国の友人は、こう教えてくれたのだ。
「死なない人」は年を取って醜くなっても、病気になってもよくもならずわるくもならず生き続け、がんこでおこりっぽく、よくばりで、うぬぼれが強く、おしゃべりで、人当たりが悪く、愛情も干からびてしまっています。ひどいおいぼれになっても、果てしなく生き続けなければならないのです。
そんなことまで教えられたガリバーは、ついに、
おしまいには、いつまでも死なないことをありがたいことだとは思わなくなった。
のだった。
子供心にもこの話は強烈な印象で記憶に残り、それがその後の自分の死生観にも繋がっていった。
そして、必ずしも長生きすることが「いいこと」だとは思わなくなった。終わりがある=死ぬ日が来る、ということは幸せなことなんだと思うようになった。
それならば、幸せだったと思いながら死ねるように…自分も、大切な人も、そうであってほしい。
そうして両親を無事に看取ったあと、18年間一緒に暮らしたタマ(猫)もちゃんと見送ることが出来て、あとは自分がいつ死んでも後悔しないように生きていくだけ。
・・・というはずだったのに、ひょんなことでふわりに出会い、あまりのかわいさに、タマのあとには飼うつもりのなかった生まれたての猫を飼うことにしてしまった。
うーむ。飼ってしまったからには、ふわりとその子猫たちにも幸せな最期を迎えてもらわなければなるまい。
ということは、それまでの間に自分がこの世でやるべきことがまだいくつか残されている、っていうことなのかな?
ちなみに、『ガリバー旅行記』に出てくる飛ぶ島の名前は、「ラピュタ」。
滅びのあとには、何が始まるのだろう。
そう言えば、父が亡くなり、葬儀が済んだあと、私がその頃住んでいた会津に戻る時に、母がこんなことを言ったっけ。
この世に残っている人が
一生懸命生きることが
いちばんの 供養になるんだから
幸せだと思えるように
生きなさい