少し前になるのだが、あるテレビ番組で、北海道で鳥専門の獣医をしている方の密着取材をしていた。
鳥といっても、その獣医さんが関わるほとんどは、猛禽類、つまり、タカとかワシが多いらしいのだけれど、電線に止まって感電して落ちたり、交通事故にあって怪我をしたり、あるいは人間が捨てたビニールや魚の体に残っていた釣り針などを飲み込んでしまった鳥の手当てをするために、北海道の広範囲を車で回っている様子が放映されていた。
休む間もなく飛び回っている獣医さんが、たぶん、テレビクルーの何らかの質問に答える形で話していたのだと思うのだけれど、
怪我した鳥がかわいそうとか
動物がかわいいから
ということで
この仕事をしているんじゃないんです
人が作った 自然界にはないものが原因で
傷ついた鳥がいる
それを救うのは
ヒトとしての責任だと思うんです
というのを聞いて、そういうことなんだよなぁと思った。
それから数週間後に、水族館で獣医をしている方が出ていた別の番組を見ていたら、若い女性のその獣医さんが、
爪は 0ミリに
切っています
人が作った人工的な環境に置かれた中で
病気になったり 怪我をした魚や哺乳類を診る時に
自分の爪で 傷つけることがあってはならないと
思っているので
と話していた。その言葉を聞いて、あの北海道の獣医さんと同じだ、と思った。
東日本大震災があった時に、福島にいた人以外はもう、原発事故のことなど忘れてしまっているかもしれない。
あの時会津(福島県)に住んでいた私は、同じ県内で起こった原発事故を、原爆が落とされたくらいの恐怖心を持ってニュースを見ていた。
故郷に帰れないままの人や、故郷に帰ることを断念して他の土地で根づいた人は、あの事故のことをいつまでも忘れることはないだろう。
ただ、放射能の濃度や食べ物の安全性だけに神経質になっている人たちには、違和感を感じる。
あの事故が影響を与えているのは、人間だけじゃない。
ヒト以外のたくさんの生き物たちに対しての責任は、どうなっているんだろう?
原子力以外の、特に自然エネルギーを活用した電力は、今やビジネスチャンスになっているようにも見えるけれど、それも違うだろ、と思うのだ。
他の方法で電力を創りだすのではなく、なぜ、電力の消費を少なくすることを考えないのだろう?
私には、そのことが不思議でならない。エアコンを使わなければ、地球の温度が5度くらい下がりそうな気がしているのは、私だけ?
今年の猛暑も冷房なしで乗り切るつもりの私は、体温以上に暑くなった厨房の片隅で、そんなことを考えるのだった。