小さなパン工房を開店してから、1年と3か月になるところなのだが、いまだにごく近くに住む方が初めてお店に来てくれることがある。
先週も、
ずっと 気になっていたんですが
「パンあります」っていう看板があっても
パンを売っているのかどうなのか わからないし
この中に入っていいものかも わからなくて・・・
でも 今日は
勇気を出して 来てみました
という方がいらした(笑)
一般的には、開店したならチラシをまくとか、大きな目立つ看板を立てるとか・・・それ以前に、人通りが多いわかりやすい場所に店を作るものだが、この店があるのは、大通りではなくて、住宅街の狭い道沿い。しかも店は、自宅の裏側にあって道からは見えない、という、普通ではありえない状況になっている。
では、なぜあえてそんな環境に店を建てたのか、というと、一言で言うと、見つけた時の喜びを味わってほしかったから。
インターネットが発達した今の世の中、たいていのことは検索したら何かしら情報が出てくる。検索で探しまくったら、見たことがなくても見たことがあるように思えるくらいに、画像だって出てくる。
でも、本当にそれがいいことなのか?
まあ、便利であることに間違いはないだろうが、おかげで世の中に「謎」というものがなくなってしまっているのではないだろうか?
ちなみに最近、某G社から、インドアビューのお誘いがあったのだが、登録すると、Gマップのように3Dでお店の中が見られるようなサービスを提供できるようになるのだとか。つまり、検索でそれに行き当たれば、お店に行く前に中の様子まで知ることができて、集客アップにもつながりますよ、ということですな。
・・・う〜ん。どうですか?私にとっては、それが楽しいことだとは到底思えず(というか、行く前にわかっちゃったら、つまらないでしょ)、上記のような説明をしたうえで、お断りした。だいたい、人だって、あっけらかんにわかりやすい人よりも、ちょっと謎めいた人物の方が気になりますよねぇ。
この話をすると年代がわかってしまうのだが、私が中学生の頃、NHKで少年ドラマシリーズというのがあり、その中でいちばん話題になったのが、最初に放映された『タイムトラベラー』だった。筒井康隆さんの『時をかける少女』をドラマ化したものなのだが、その中に、ラベンダーの香り…というのが出てくる。
今になれば、ラベンダーがハーブで、どんな香りがして、どこに行けば見られるかということはたいていの人が知っているけれど、テレビドラマが放映された頃は「ラベンダー」という言葉自体聞いたことがなくて、それは植物なのか、どんな香りがするのか、日本で見られる場所があるのかさえもわからなかった。
物語の中では、ラベンダーの香りがタイムトラベルを可能にする薬品の重要な要素を担っていたので、それがどんなものなのか、いっしょにテレビを見ていた妹と興味津々で夢中になった。しかし、ハーブという言葉さえまだ聞いたことがないような時代だったので(今では信じられませんね(笑))、ラベンダーの実態は、私と妹の間で何年もの間、知りたい「謎」として心の中に刻み込まれた。
そのラベンダーの実物を最初に見たのは、妹の方が先だった。大学生になった頃、妹が友達と北海道に旅をして、富良野の富田ファームに行き(この時ガイドブックで、ラベンダー畑があることを知ってのことである)、ラベンダーを「見た」のである。見たと同時に、もちろんにおいも嗅いだ。そしておみやげに、私にもドライになったラベンダーの小さな花束とサシェ(におい袋)を買ってきてくれた。
妹がそれを持って遊びに来てくれた時には、やっぱり『タイムトラベラー』の話になった。そして、念願のラベンダーのにおいをようやく知って、
あまり いい匂いではないよね・・・
と、二人でちょっとがっかりしたのを覚えている。ハーブの匂いそのものがまだ一般的にはなっていなかったので、西洋的なその匂いに、すぐには馴染めなかったのだ。
テレビドラマの『タイムトラベラー』は、白黒だった。なのでよけいに、謎は深まった。そして、ずっと知りたいと思っていたラベンダーの姿かたちや色や香りを知ったのは、10年近くあとになってからのことだった。
それだけに、その謎が解けた時の喜びは、とても大きかった。ずっと知りたいと思っていたそれが、目の前にあるという感動。それはたぶん、それまでの人生の中で初めて味わった、ほんものの感動だった気がする。
今の子供たちは、そういう体験をする機会があるのだろうか?と、私は疑問に思うのだ。大人たちがあまりにも便利な世の中にしてしまったがために、そういうチャンスを摘みとってしまってはいないだろうか。
それは、大人にとっても同じこと。
どこにあるのか、表からは見えないパン屋。
噂では聞いているけれど、本当にこの場所にあるのか、この道を入っていってもいいのか、なんだか謎めいたパン屋・・・。
日常の中で、ちょっぴり小さな冒険をするように、あるいは、散歩の途中で、「こんなところに、パン屋さん?」という発見を楽しめるように、あえて見えない場所に工房を作ったのは、何でも検索でわかってしまう世の中に小さな抵抗をしたかった、というのも理由の一つだった。
さて、話は元に戻って、ラベンダーのこと。
初めてラベンダーのことを知ってから、20年くらいののち、ようやく自分でも苗を手に入れ、鉢植えで育ててみることができた。
枯らしてしまったことも多いが、それから今までずっと、ラベンダーは私を癒してくれる香りとなって、身近なところで花を咲かせている。
3年半前に実家に戻ってきてからも、この家の軒先に、ラベンダーの苗を植え付けた。毎年この苗が、少しずつ株を大きくしていくのが、ささやかな喜びでもある。
今年もまた、そのラベンダーに、蕾がたくさんついた。今月の終わりごろには、紫色の花が咲くかな。