風の通りすぎる場所@あおいベーカリー

自家製酵母のパン工房「風の通りすぎる場所@あおいベーカリー」に関するお知らせと、何気ない日常を綴っています。

Suprise!

 40歳になった時、自分が40年生きてきたことに改めて感嘆したともに、平均寿命から考えたら、

 人生の半分が終わって
 折り返し地点ではないか!
 それなのに 私は
 何もできていない・・・

と、愕然としたのを覚えている。
 何もできていない、というのは、自分はこれまでこんなことをしてきました、と話せるようなものがなく、自分がこういう生き方をしたかったと思えるような地点に全然到達できていない、という意味である。

 その頃やってみたいと思っていたことは、自給自足の生活、自然と関わる仕事、もしくは何かを作る仕事、できればジャム屋、というあたりのことだったのだけれど、たまたまその時に高原にあるハーブ園の仕事に関わることができてはいたものの、ハーブ園の持続そのものがその時点で危ういものになっていたし、所属していた会社の雇用条件も安定しないものだったこともあり、それらの諸事情を鑑みると、この仕事をいつまでも続けられるとは到底思えなかった。
 だったら、自分で何かやりたい!と思い立ち、41歳になった春に畑を借りて、ブルーベリーを植えた。ジャムを作りたいと思ったのだ。
 40歳になるまでの間にも、自分なりにやってきたことはある。
 自分の引っ込み思案の性格を変えること、就職すること、バイクに乗って日本のあちこちをツーリングすること。
 その他諸々、他人から見ればそんなこと?と思われることでも、私にとっては山あり谷ありの道のりだった。
 40歳を過ぎても、その山あり谷ありは果てしなく続き、今から思えば精神的にかなり病んでいた、と思えるくらいに感情が乱気流の中にあったこともある。
 その紆余曲折が急展開を迎えたのは、ブルーベリーで酵母を起こしてパンを作ってみたところ、思いがけずそれなりのものができて、自家製酵母のパン作りにはまり、パン屋になる!と決心した47歳の時だった。
 それからも紆余曲折があったのだけれど、そこからの時間は、どうしてもパン屋になりたい!という思いが強かったので、迷いは消えてひたすら突き進んできたような気がする。

 そうして開店したパン屋もこの2月で丸6年となるのだが、そのまえに今月私は誕生日を迎え、なんと!60歳になった。
 誕生日の少し前に、アメリカに住む妹から、誕生日のカードが届いた。封筒を開けると、カードとともに小さな封筒が入っていた。


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 「Suprise」と書かれた封筒の中には、supriseなプレゼントが入っていたのだが、それ以上に自分が60年生きてきた(よくもまぁ・・・)、ということのほうが私にとってはsupriseだ。
 さらに、誕生日の日に届いた妹からのメールには、

 ここまできたら、怖いものなし!

と書いてあった。
 言ってくれるなぁ。確かに、そうかもしれない。

 人生は短い!と思った40歳の時から、早くも20年。
 こういう生き方をしたい、と思えるような地点にはかなり近づくことができた。何より、自分が住んでいて安心できる場所に今いる、ということが心を落ち着かせてくれる。
 自分の死に方を自分で決めることはできないけれど、両親の死に方を見ていたら、死に方は最後の生き方だ・・・と思うようになった。
 どう生きてきたかで、最後に神さまが「どう死ぬか」を決めてくれるような気がしている。
 そこにたどり着くまで、これからも歩き続けていくのだろう。いつ死んでも後悔しないように。
 
 人生は、長くて短い。
 還暦を迎えた今は、そう思う。