風の通りすぎる場所@あおいベーカリー

自家製酵母のパン工房「風の通りすぎる場所@あおいベーカリー」に関するお知らせと、何気ない日常を綴っています。

time in the flower

 先週、野菜を買いに直売所に行った時に、矢車草の花束を見つけて買ってきた。


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 中学生の頃、庭に母が矢車草を植えていたことがあり、その青紫色の花と形が美しく、以来、矢車草は野草好きな私が珍しく好きになった園芸花の一つになった。
 たぶんそれと同じ頃、国語の時間に先生から、ハワード=カーターの『ツタンカーメン発掘記』の話を聞いた。
 その先生は、実家が書店だったこともあって本をたくさん読んでいて、授業の合間に時々、気分転換のためにおもしろい本の話(先生がおすすめのブック案内、みたいな)をしてくれることがあったのだけれど、実際には先生の方からそういう横道にそれることはほとんどないので、時々授業に飽きた生徒の方が、

 本の話をして!

とリクエストをして、授業を中断させていた。
 そんな横道のブック案内で聞いた、『ツタンカーメン発掘記』。
 ハワード=カーターがエジプトに行って、ツタンカーメンの遺跡を発見するまでの記録が書かれたその本の最後には、発見したツタンカーメン王の棺を開けるとその上には幼い王妃が手向けた青い矢車草の花束が乗っていて、棺を開けた瞬間にその色を失い、ドライフラワーになっていた花束は朽ち果てて風に散っていった・・・
 と書かれている、というようなことを話してくれたように覚えているのだけれど、どうもそれは私が脚色して頭の中に風景を想像し、美しい物語として記憶し続けていたようなのだ。
 あらためてそう書かれているのか?と検索してみると、『ツタンカーメン発掘記』の最後にそのような記述はなく、細かいところで食い違いがあるようだ。王妃が矢車草の花束を棺の上に載せた、という事実はなく、ただ、家族や家臣などたくさんの人々が捧げた花や緑に囲まれて葬られた、ということだけが確かなことらしい。 
 だいたい、矢車草という花の名前も、山野草のヤグルマソウと混同されないように、今では植物図鑑などでは「ヤグルマギク」という名称に統一されているのだとか!
 いったいいつからそうなったんだよ!?

 と、時の流れを感じつつ、そういえば、と思い出したことがある。
 私が大学卒業後に東京に住み始めた頃、母がよく宅配便を送ってくれたのだけれど、ある6月の雨の日に届いた母からの荷物を開けてみたら、食料品や雑貨類を詰めた荷物の一番上に、ポリ袋でふんわりと包まれた真っ白な玉あじさいが乗っていたのだ。ご丁寧に、茎の切り口には濡らしたティッシュが巻きつけてあった。
 それを見た瞬間、棺を開けた時に真っ青なヤグルマソウの花束が乗っていた、というツタンカーメン発掘記の一場面(の妄想)を思い浮かべた。
 そして、母の粋な計らいに感動した。
 荷物を受け取ったよ、という電話を母にしたら、

 あじさい つぶれてなかった?
 きれいだったから
 入れてみた

と、無邪気な答えが返ってきたこともよく覚えている。

 ツタンカーメン王の棺に入れられていた副葬品の花々には、王妃も含め、たくさんの人たちの愛が込められていたことは間違いないだろう。
 それと同じように、母が何気なく入れた白いあじさいにも、慣れない都会での一人暮らしの私に、ちょっとした心のゆとりを送ってあげたいという思いがこもっていたに違いない。
 青紫のヤグルマギクと、白い玉あじさい。
 花はいつか朽ちてしまうけれど、花に込められた愛情は、時を超えていつまでも人の心の中に生き続けるものなのだ。きっと。