風の通りすぎる場所@あおいベーカリー

自家製酵母のパン工房「風の通りすぎる場所@あおいベーカリー」に関するお知らせと、何気ない日常を綴っています。

味噌甕を開ける

 2014年といえばもう、一昨年のことになるのだが、年末の頃に恒例の味噌仕込みをした。
 冬に仕込んだものを、翌年(つまり、去年)の春先に一度ふたを開けて出来具合を確認してかき混ぜ、塩で重しをしてふたをして、昭和な台所にある扉付きの棚のいちばん下に保存したのだけれど、甕を入れた棚がいちばん下なので扉の前にあれこれと物を置いてしまっているため、取り出す前にはその物を動かすことから始めなければならず、それがちょっと面倒、というのと、取り出した味噌甕は、塩の重しをはずして点検したら、その後に甕の内側についた味噌をよく拭き取り、さらに焼酎などをしみこませたキッチンペーパーで消毒を兼ねた仕上げのふき取りをしてから塩の重しをするために、まずポリ袋を切り開いて味噌の上に載せてそのうえに塩を乗せて平らにならして・・・という作業をするため、時間と心の余裕がないとする気になれず、ついついそのままになってしまった。
 カレーパン用のキーマカレーなどを作る時によく使っている鍋を取り出す時に、真ん中の棚の扉を開けるのだが、そのたびに下の方から味噌の匂いがしてきて、

 ああ〜
 味噌が 私を呼んでいる・・・
 見てあげなきゃなぁ
 
と何度も気になりつつも、一度、小さな容器に入れている常用の味噌の補充にその棚を開けた時には、2012年製のものを移し替えて、それだけを点検して終わってしまっていた。
 ゆえに、2014年の味噌はすでに1年以上放置したままである。・・・というカウントだけは頭に入っている非情な飼育係(味噌も生き物ですからね)となってしまっている自分に罪悪感を感じてはいたのだが、今の今まで、雑用と疲労に追われて、ついぞお世話ができないままになっていた。が、ここまできてついに常用の味噌を使い切ったために、今週こそは下の棚を開けてどれかしらの味噌を移し替えなければならない、という事態に直面した。
 って、なんだか大げさなことになっているが、とにかく下の棚の扉を開けて味噌を出さなければ、今夜作りたいと思っているなすの味噌炒めができない!という切羽詰まった状況になったものですから、本日夕食を作る前に棚の前に置いてあるものをどけて、下の棚の扉を開けて、体半分をかがめて頭を突っ込み、棚の奥に置いてある2014年の味噌甕に手をかけられるように体制を整え(味噌が入っている陶器製の甕は、それなりに重いですからね。ヘタすると腰を痛めます)、よいしょ!と引き出して、ようやく2014年の味噌とご対面となったのであった。
 甕を引き出したはよいが、なんせ1年半以上中を見ていない。カビだらけになっていたらどうしよう・・・という一抹の不安が心をよぎる。
 で、やや恐る恐るふたを開けてみると、

 おお〜
 変なカビは 出ていない模様!

青カビや黒カビや赤カビが百花繚乱のごとく甕の内側に生えていた!というような最悪の状況にはなっていなかった。よかった。
 さらに中身を点検してみると、

 わー!
 ちゃんと おいしそうな味噌になってる!

1年目は山吹色だった味噌が2年目となって濃くなり、すっかり貫禄のある色合いとなっていた。見た目でも、麹と大豆がこなれて、おいしそうである。
 一口味見をしてみると、1年経った頃にはまだ味が一体化していなかったものが、一つの味噌の味として成り立っている。(言い換えると、作りたてのカレーが一晩おいて味がなじんでおいしくなった、みたいなことですね)
 ということで、2014年の味噌を小さな容器に入れ替えて、残りの味噌はかき混ぜて表面をならし、甕の内側についた味噌をきれいにふき取り、さらに焼酎を含ませたキッチンペーパーで拭きあげて、塩の重しをして甕のふたをして、さらにその上に新聞紙をかけて蓋がずれないように紐で結んで、棚の奥に戻した。
 
 時間をかけて味噌を作る。仕込むこともそうだけれど、こうして丁寧に甕を棚の奥に戻してあげることも、味噌を作ることの大切な一工程なのだと、あらためて思った。
 それはまた、自分が生きる時間の中で食べていくものに、命を吹き込むことでもあるように思うのだ。