風の通りすぎる場所@あおいベーカリー

自家製酵母のパン工房「風の通りすぎる場所@あおいベーカリー」に関するお知らせと、何気ない日常を綴っています。

くうねるあそぶパンを焼く

 自分の人生の中で、6~7年に一度、転機になるような出来事が起こっている、ということにうすうす気づいているのだが、パン屋を開店してから初めての営業許可の更新通知がこのたび参りまして、

 そう言えば 来年の2月で
 開店から丸6年
 7年目になるところだ!

と、やっぱり6~7年の節目であることに思い至った。
 自分の人生における7年周期説(?)の出だしは、東京に住んでいた30代の初めに、そろそろ田舎に引越そうと思って会社を辞めてから実際に会津に引越すまでに6年かかった、というところから始まっている。
 そして、会津に引越してから3年目の春に、

 自分で何かをやりたい

と思って畑を借り、ブルーベリーを植えたのだけれど、そこから7年目の夏に、ブルーベリーで起こした酵母でパンを焼き、

 パン屋になる!

と決心したのも、6~7年の節目だった。
 そこから、お金を出して買ってもらえるようなパンを作れるようになろうと思いながらパンを焼き続けたわけだが、紆余曲折ののちに実家に戻って実際にパン屋を開店したのは、ブルーベリーの酵母で初めてパンを焼いた年から7年目の冬だった。
 こうして見てみると、最初に取得した営業許可証の期限が来る来年、何かまた、人生の転機になるような出来事が起こってもおかしくない・・・と思わずにはいられない。
 というか、ひそかに期待してしまう自分がいる。

 ちなみに営業許可は、建物に対してのものなので、更新手続きをして、立ち入り検査に合格すれば営業許可が下りる。
 パン屋を開店するための小屋は、6年前に仲間が集まって建ててくれたものなのだけれど、建設を始める前のミーティングで、関わってくれる人たちのイメージを統一するために、パン屋のコンセプトは何か?ということを考えた。
 そのときに出てきたのは、

 くうねるあそぶパンを焼く。そして時々、おすそ分け。

というフレーズだった。
 組織に属して仕事をするのが嫌だった。
 その日の仕事は自分で決めたかった。
 自分の時間を会社などに束縛されず、自由に使いたかった。
 そして、パン屋になる道を選んだ。
 普段の暮らしの中で自分が食べるパンを焼く時に、少し余分に焼いて、そのパンを売って生活できるようになりたい、と思った。

 ここまでパン屋を続けてきて、「くうねるあそぶパンを焼く」という暮らし方ができているかというと、そうでもない。
 パンを焼くことと、雑用に追われて、「ねる」と「あそぶ」はできていない。
 そこを何とか変えたいな、と、今は思っている。
 実は9月の時点で、これまで5年間続けてきた、毎週木曜日に納品させてもらっていた益子のスターネットさんへの納品を今年いっぱいで終了させてもらうことを了承していただいている。
 来年からは、月に2回、木曜日、どこかに納品する仕事を作って、仕事日が週3日と週4日の週が交互に来るようにしたい。
 去年試作したもののまだ販売に至っていない、大麦粉入りの食パンを作って売りたいな、とも考えている。

 大事(おおごと)ではなくても、来年、自分の人生の中で何か節目のような出来事が起こりそうな予感がする。
 くうねるあそぶパンを焼く。
 自分が思い描く、そんな生き方ができるように・・・パン屋はまだ、続ける所存でごさいます。