梅雨が明けたと思われる宣言が出て夏になったと思いきや、季節が逆戻りしたような空模様が続き、枯れかけのアジサイに雨が降る。
6月の半ば頃、庭のモミジにキジバトが巣を掛けた。
パン工房のすぐわきにあるモミジの木だったので、それから毎日、木を見上げてはキジバトの様子を見続けた。
親鳥がほとんど巣を離れることなく抱卵していて、ヒナが生まれたのかどうかいつになってもわからなかったのだけれど、2週間くらい経った頃に、小さな頭が2つ動いているのがようやく確認できた。
3羽くらいいるようにも見えたが、結局最後まで、何羽生まれたのかはわからない。
巣をかけたモミジの枝は、ジャンプしたら手が届きそうな高さで(実際には届かないけれど、バスケットボールのゴールぐらいの高さ?)、毎日のように私が行き来しているすぐ上に巣を作ったことに驚きつつも、キジバトは私を危険人物認定することなく、いつも安心しきったように巣の上にちょこんと乗っている。
いつ見ても親鳥がいて、ヒナがどのくらいの大きさになっているのか全くわからないまま、3週間が過ぎたある朝、バタバタバタと不器用に羽ばたく音がしたと思ったら、それと同時に親鳥が帰ってこなくなり、巣は空になった。
・・・と思いながらも、本当にもう誰もいなくなったのか?と何度か見上げていたら、
あれ?
もう一羽いる!?
推測だけれど、大きくなった雛が無事に巣立ったあと、遅れて育った1羽だけが巣に取り残されているようなのだ。
気をつけて耳を澄ませていると、時々親鳥が近くまできてデデッポッポーと盛んに鳴いて、ヒナの様子を見守っているような・・・。
取り残されたヒナは、それでもまだ巣立つ心準備ができないのか、ぽつんと巣に座っている。
それから1週間近く経った頃だろうか。
先週の木曜日の午前中、モミジの木のあるあたりでバタバタバタ・・・と、不器用に羽ばたくような音を聞いた。
それからしばらくしたら、ふわり(うちの飼い猫)が何やら急いで家の中に駆け込んできて、私の膝の上を飛び越えるように隣の部屋に走って行ったので、何か嫌な予感がして様子を見に行くと、かなり大きくなったキジバトの雛が、羽をバタバタさせながらふわりの攻撃から逃げようとしているではないか!
あわてて炭ばさみ(昭和の我が家に残っている、こういうときにも役に立つ小道具)を持ってきてキジバトを押さえて見てみると、まだ産毛が残る背中にふわりのものと思われる大きな噛み痕が・・・。
このままではふわりにかみ殺されるに違いない。
とりあえず、炭ばさみでキジバトの雛を捕まえたまま庭に出て、巣の上に乗せてあげようと思ったのだけれど、脚立に乗っても巣の上には届かず、仕方がないのでその一つ下の枝の上に乗せてみた。
何とか座っていられそうだったので、脚立を置いて家に入って様子を見ていたら、ふわりが木の下で、またヒナが落ちてきたらすかさず捕まえるぜ!というやる気満々の姿で待機中。
雛は雛で、木の上から懸命に飛び立とうとしたのだろう。しかし、落ちた時に羽を痛めたのか、ふわりに負わされたキズが痛むのか、あるいはまだ、羽ばたくほどの力がついていなかったのか、あえなく落ちてしまい、木の下で狙っていたふわりに捕まりそうになった。
またもあわてて駆けつけてヒナを炭ばさみで捕まえてふわりの手から救い出し、少し離れたりんごの木の上に乗せると、キジバトは枝の形にすっぽりはまったようにおとなしくなって、落ち着いたようだった。
そのまま家に戻り、しばらくしてから様子を見に行くと、木の上にいなかったので、飛べたのかな?と思いながらも近くを探してみたら、木から落ちたあと歩いたらしく、りんごの木から少し離れた地面にひっそりと座っていた。
このままでは死んでしまうかもしれない
と思ったけれど、これ以上手出しをするのはやめることにした。
この庭で起こることは、人が住む中ではあっても、自然界の中で起こること。
人為的な出来事でない限り、自然界の中で起ったことに人間が手出しをしてはいけない。
そう決めている。
その日このヒナは、一度も空を飛ぶことなく天に昇ってしまった。
翌日の早朝。
パンの仕込みをしながら、キジバトが盛んになく声に気がついた。
デデッポッポー デデッポッポー と大きな声で、何度も何度も、親鳥が雛を探して鳴いているように聞こえた。
近くの電線の上から、庭のフェンスの上で、そして、モミジの木のすぐそばにある鉄棒の上で。
いなくなってしまった雛がいる場所を、探しているようだった。
でも、1日探した翌日には、もう、親鳥が探すような鳴き声はしなくなった。
工房のすぐそばに掛けられたキジバトの巣は、そうして本当に、誰もいなくなった。
救ってあげられなくて ごめんね・・・
家族のように毎日キジバトを見守った、ひと夏の中での、短い物語が終わった。
2022年7月14日 キジバトのぽぽ
心の片隅に、小さな墓標を立てる。